ネガティブ女でも人生楽しく生きている。

生き方なんて人それぞれだから。

読書ってのは贅沢な趣味かもしれない

最近読書が捗らない。

理由は明白。通勤時間が短くなったから。

 

今まで通勤時間に本を読むのが習慣だったのだが、転職したら通勤時間が3分の1になってしまって、読む時間が極端に減った。

家に帰って読まないのか?と思われるかもしれないが、

家に帰ってしまうと、家事に追われるのと、動画サイトでドラマやアニメを見てしまうのとでなかなか読書にたどり着かない。

 

ここに来て、読書をするという行為のハードルの高さに気がつく。

 

動画の良いところというのは、なんといっても「ながら視聴」ができるということ。

服をたたみながら、アイロンをかけながら、家計簿をつけながら……とにかく私は「ながら」が多い。

同時進行で2つ以上のことが進むお得感が好きなのだ。

そういう意味で、通勤し「ながら」の読書は、時間を有意義に使っている感じがしてとても良かった。

 

 

本を読むこと自体は大好きなのだが、なかなか一つのことに没頭する時間を取ることが出来ない。

 

やりたいことが多くて時間が足りないなとは常に思っているけれど、最近は、自分に課していることが多すぎるんじゃないかと思い始めてもいる。

記録をつけたりするのが好きなんだけど、その記録が細かすぎるとか。自分で自分の首をしめているんですよね、きっと。

楽しいし、やり終わると達成感あるし、後で苦しいよりは今頑張りたいと思って今頑張るんだけど、結果ずっと頑張ってる、みたいな状態になっているような(笑)

 

このブログもそう。

ついしっかり書こうとして全然更新していなかった。もっとラクに、適当な感じでガンガン更新したいんだ本当は。

6月からはちゃんと更新頑張りたいと思っているところだ……って、また「ちゃんと」とか言ってしまっている私(^^;)

 

色々整理したいなあ、自分の生活スタイル。

時間を上手に使えるようになりたい。。。

 

なんだか話がそれたが、つまり何が言いたいかと言うと、

本を読むことだけに集中するって、かなり贅沢な時間の使い方だと気づいたということ。

 

でも、ついあれもこれもと手を出してしまう私にはきっと必要な時間だと思う。

なぜそう思うのか、具体的に説明しろと言われると難しいのだが、「生き急がないため」が近いかもしれないな……

 

6月だし、もう梅雨でお出かけも億劫になることだし、もう時間の使い方を工夫して、読書に集中する時間をつくりたい。

そんなことを想う今日この頃なのであった。

推しが今日も私を落ち着かせない

このブログでは初めて(?)まともに件の推しについて良い話が書ける。

昨晩(というか本日未明か)だらだらと推しへの未練がましい想いを書いてしまったが、本日、某作品への出演続投が決まったとのニュースが飛び込んだ。

今日ばかりは嬉しい方の衝動で書かずにはいられない。

 

公式からの発表タイトルが、「〜氏に関するお知らせ」としか無かったので、降板かと思って、動悸で心臓が飛び出しそうになったし、変な汗をかいた。

内容をちゃんと確認した後も、しばらく手の震えが止まらなかった。

 

続投が決まったキャラクターは、おそらく私が、推しが演じる中で最初に好きになったキャラで、これが降板になってしまったらいよいよ私は立ち直れないと思っていたので、心の底から安堵している。

今回の発表には、「このキャラクターはこの人でないと」というような、好意的な声が比較的多く集まっていて、自分のことのように嬉しい気持ちになり、涙が出そうになった。

久々に、推しに対してあたたかい声を聞いた。

 

やはりあのキャラにはあの声が必要なのだ。

散々、推しが推しがと言っている私が言うと説得力に欠けるかもしれないが、私は推し云々関係なく、あのキャラクターのことが大好きだから、ずっと好きだったキャラが変わってしまうのは受け入れ難い。

だから、今回の発表は素直に嬉しい。

 

もちろん、まだまだ厳しい声もたくさんある。続投に憤りを感じる人の気持ちも分からなくはない。

マイナスな意見を受け入れることはとても辛いことだと思うけど、推しには、そういう批判もよくよく理解したうえで、誠実な対応や立ち振る舞いを考えてもらいたい。

…なんて言うと、上から目線な感じが週刊誌っぽくて(偏見)嫌なのだが。

私が願うのは、また皆から歓迎される推しが見たい。ただそれだけだ。

 

私と同じように、切実に再起を願っているファンもたくさんいるはずだ。

推しは熱い人だから、熱いファンの気持ちにはきっと、絶対、応えてくれる。そう信じている。

 

 

作品に出てくれるだけでももちろん嬉しいが、そうじゃなくて。

推しの魅力は私が知っていれば良い、と思わないでもないけど。

やっぱり、推しは皆に愛されていてほしい。

こんなこと思ってるファンがいるということが、推しに伝わっていると良いなと思う。

 

 

 

今夜はお酒が美味しい。

久しぶりによく眠れそうだ。

せめて思い出は綺麗であれ

もう推しの話は書かないって思ってたんだけど、何度もそう思うんだけど、どこかに吐き出さないと窒息しそうで、性懲りも無くまたこうして記事を書いている。

 

 

推しがボーカルを務めるバンドが5/31付で解散した。

以前から解散は発表されていたが、改めて宣言されて、改めてメッセージが公開されて、また心がかき乱されている。

 

以前にも書いたが、私は、声優である推しの前に、ボーカリストとしての推しを好きになった。まっすぐに胸に響く歌声が、本当に好きだった。

初めて生でその歌声を聴いたときには、その歌唱力に脱帽したし、胸にドンと突きつけられるように歌が届いて涙が出た。

 

歌を沢山聴いて、推しの出演作を見るようになり、ライブに行くようになり、

新曲が出る時に発表されるコメントとか、出演作品のWebラジオとか、ライブMCとかで段々人となりが分かってきて、ますます好きになって。

それまで芸能人の趣味嗜好・プライベートには興味が無かったのだが、推しに関してはどんなことでも知りたかった。

 

推しのことを知っていくうちに、こういう時きっと推しならこうする、とか、推しはこんな行動は許さないだろうな、とか、そういうことを考えるようになった。

推しを推す者として恥ずかしくない人間でありたいと思ったからだ。

 

私の行動規範は紛れもなく推しだった。

 

***

 

ライブのことを思い出せば、楽しかった記憶しかない。

見よう見まねでジャンプして、拳を突き上げて、頭を振って、声を枯らして。

ボーカルの推しはもちろんのこと、ペインターの方のパフォーマンスもそれはそれは凄かった。生きるって、こういうことなのかなって感じられるような、エネルギーというか、魂を見せられているようだった。これがアートの力か、と。

音楽もアートも大好きな私にとって、このバンドは好きの集合体だった。大好きなロックが、大好きな声で歌われ、そんな音楽に包まれながら大好きな絵が出来上がる。こんなに満たされることは他に無い。

彼らのライブは、遊び方が分からないまま大人になってしまった私が、青春を取り戻せる場所だった。

 

ライブが終わって、心地よい疲労感の後には筋肉痛がやってきて、痛みとともにセトリを振り返って、iPodにセトリ通りのプレイリストを作って、通勤中に聴いてはライブに思いを馳せて。

また行きたいな、また会いたいな、と思うことが、働く原動力だった。

 

コロナもあって、結局ライブには数えるほどしか行くことが出来なかったけれど、行くことが出来たその数回には、それぞれに思い入れがある、

 

初めて一人でライブハウスに行った1回目

推し繋がりで仲良くなった後輩と朝から物販に並んだ2回目

会員限定ライブに行きたくて大急ぎでメンバーズ会員登録して参戦した3回目

初めて遠征した4回目

地元開催が嬉しかった5回目

どうしても布教したくて友人を引っ張っていった6回目

どれも大事な思い出だ。

 

私にとって7回目のライブはコロナ禍でのオンライン配信。これが最後になってしまった。

最後にもう一度、生でパフォーマンスが見たかった。それだけが心残りだ。

 

解散に際して、推しの発表したコメントには、感謝の言葉しか無かった。

正直、何故「解散」という結論に至ったのか、推しなりの考えというか、推しが思っていることをもう少し話して欲しかった感はある。推しは、こういう時の説明が本当に上手くない。

ただ、どんなに説明されても、こちらが慮ることの出来ない領域もあるだろうし、十分に話し合って決めた結論なのだろうから、彼らが最良だと思う道が「解散」なのであれば、一ファンである自分には、彼らの意思を尊重し、受け入れることしかできない。いや、そう思おうとしている、といった方が正しいかもしれない。

私はこうして文章にすることで、自分で自分を納得させようとしている。

 

 

まだもやもやする気持ちもあるけど、ひとまずはねぎらいと、感謝を。

 

今までお疲れ様でした。

色んな初めてを経験させてくれて

一歩踏み出す勇気をくれて

たくさんの感動をくれて

本当に、本当に、ありがとう。

 

またいつか、を夢見て。

 

 *

***

 *

 

時間が解決してくれると言えるほど世の中は甘くなくて、火種は未だにあちこちに転がっていて、動く度にパチパチ燃える。

 

私は、誰が何を言おうと関係ない!私は彼が好き!と大声で言えるほど強くなくて、推しに対する厳しい意見を見聞きしては胸が締め付けられ、こんなところで発言できない、と萎縮してしまう。

どうしても吐き出したくて書くこのブログにも、推しの名前は書くことができない。

 

 

いっそ嫌いになれた方がどれだけラクか、と何度も思った。でも無理だった。

楽しかったあの瞬間に嘘は無かったから。

 

こんな気持ちを抱え続けるのは正直辛いし、もう疲れた。

 

 

それでも私は、推しを推すことを止められない。

 

情熱大陸(5/29花澤香菜さん回)感想

大好きな花澤香菜さんが出られるとのことで、初めて情熱大陸をリアタイ視聴した。

 

番組内容の前に、少しだけ花澤香菜を語りたい。

私はとにかく花澤さんの声が大好きだ。

自分が比較的声が低めなので、花澤さんのようなソプラノボイスにはどうしようもなく憧れる。

聞いているだけで癒され、誰しもがきゅんとしてしまうあの可憐なお声。嗚呼、あの声帯が本当に羨ましい…!

気付いた時には花澤さんの虜だったわけだが、きっかけは確か青の祓魔師のしえみちゃん。

とにかく可愛いヒロインボイスにときめいたのはもちろん、透明感があって儚い印象を受ける声色でありつつ、でもしえみちゃんの芯の強さがとてもよく表れていて、声優ってすごい…!と思った記憶がある。

 

そんな彼女のお仕事の様子を垣間見ることが出来るとあって、放送をとても楽しみにしていた。

私は、役者さんの出演作品とかは興味をもってよく調べるけど、その人自身の人柄とか趣味とかプライベートなことまでは詳しくなくて。

花澤さんのことも、花澤さんの輝かしいキャリアのことは知っていても、彼女の人となりはあまり知らなかった。だから余計に楽しみで。

 

番組冒頭の「よろしくお願いします」の声で既に「可愛い…」が止まらない私。

アフレコ現場の様子も放送されていたのだが、花澤さんほどのお方であってもこんなに指摘されるんだと衝撃を受けた。しかもそれが、「サドがちょっと強すぎ」とか「もう少しちゃんと置く感じ」とか細かい。

そういう細かい指示のニュアンスを汲み取って、そしてアウトプットできるのは本当に、流石はプロだ。

そしてそういう細かい部分にまでこだわる音響スタッフの皆々様……凄すぎる。これはスタッフもキャストも相当耳がよくないと務まらないだろう。

また、きっとスタッフさんも、花澤さんならこういう要望も叶えてくれると信頼してそういう指示を出すんだろうなとも思ったり。

 

番組では花澤さんの「生真面目さ」にフォーカスしていて、キレイにまとめられたノートとか、何年も継続しているピラティスとか、そういう努力の積み重ねが、声優・花澤香菜を作り上げているのだなということがよく分かった。

コツコツ続けるって、簡単に言うけど実際にやるのはなかなか難しい。

花澤さんほどの実力のある方がこんなに努力しているのだから、何者でもない私はもっともっと努力しなくては、と奮い立たされた。

 

今回の放送を見て、花澤さんの演技に何故これほどまでに説得力があるのかが分かった気がする。

声優として確固たる地位を築き上げてなお、あぐらをかかずに実直な姿勢で仕事に向き合い続ける。そんな彼女のことを心から尊敬し、これからも応援したいと思った。

 

やはり私は、花澤香菜という人が大好きだ。

 

 

*6/3(日)22:59までTVerで見逃し配信が見られるので、まだ見ていない方は是非!

久々に推しの姿を見に行って思ったこと

某水泳アニメの劇場版の舞台挨拶に行ってきた。

 

その主要キャストの中に私の推しはいる。

そう、何度かこのブログでも書かせてもらっている、「燃えた」推しである。

 

舞台挨拶があると知って、そして登壇者リストの中に推しの名前を見つけて、私は迷わずチケットの抽選申し込みに応募していた。そこに一切の迷いはなかった。

何せ、推しの姿を見るのは炎上前、そしてコロナの前、だから、かれこれ約2年半ぶり。

どのくらいの倍率だったのかは定かでないが、奇跡的に当選したチケットを握りしめ、私は会場に向かった。

 

 

まずは映画本編の上映。

推しが演じるキャラクターを見て、やっぱりこの子にはこの声、この声色なんだよな…と、しみじみと思う部分もありつつ、

でももう推しとか関係なく、やっぱり良いアニメだよなと。

キャラクターそれぞれの葛藤とか、成長とか、凄く丁寧に描かれているのが本当に素晴らしい。丁寧だから、キャラクターが悩めばこちらも頭を抱えてしまうし、成長してくれたら心から嬉しく思うわけで。

そしてそう思わせる演技をされるキャスト陣。キャストの演技を最大級に活かしてくれるスタッフ勢……これ以上にない、最高のメンバーで作られた作品だ。

この作品に出会えてよかった。

興味無いよと言う私に、半ば無理やり1期2期まとめてDVDを貸してくれた友人A、本当にありがとう。おかげで見た事のない景色が見れたよ。

 

そして、劇中に流れる推しの歌声。正直これを聴いているだけで泣きそうだった。あぁ、この曲を、この歌声を生で聴く機会はないのだなぁと思って。思ってしまって。

 

劇場版でシリーズの区切りは迎えたわけだが、劇中の彼らの物語は続いていくんだなと、彼らは彼らの人生を歩み続けていくんだなと、そう思えるラストだった。

アニメキャラクターではあるんだけど、彼らの未来に想いを馳せられる、そんな作品だった。こんな風に思える作品っていうのはなかなか無いんじゃなかろうか。

 

 

さて、本編終了後、いよいよ舞台挨拶。

推しが登壇してからというもの、やや呼吸がままならない私。意識して呼吸をするため、やたらと深呼吸してしまっていた。

 

久々に生で見た推しは、やっぱり私が知っている推しで。

私が、ずっと推していこうと思った推しでしかなくて。

 

とにかく楽しそうに舞台裏の話をするところ

さりげなく、あまり喋ってない人に話を振るところ

先輩も後輩もいじらずにはいられないところ

役や作品のことを真面目に語る時はテンポがゆっくりになって、 間もたくさんとって、言葉を丁寧に選んで話すところ

あぁ、やっぱり好きだなぁと。私は、推しのこういうところが好きだったんだなぁと、 再認識した。

 

最初は歌、次は声、という彼の「仕事」を好きになったけれど、 知っていくうちに、推しの仕事に対する姿勢が、誠実で、 尊敬できて、「推せる」と思ったのだ。

 

 

色々なことがあったけど、壇上の推しは「私が好きな推し」 の姿を見せてくれたから、 それはそれで良いのかなと思い始めている。

プライベートなことは当人たちが納得して解決しているのならそれで良い。 ファンであるだけの他人である私がとやかく言うことではないと思っている。

情報漏洩騒動も、事務所が一応は事実と異なる旨の見解を示してはいる。

だから、私個人としては、推しが巻き起こした諸々は置いておいて、 ファンの前で見せる姿が、 これまで見てきた私が大好きだった推しであるなら、私は、 そういうこれまで通りの姿を見せようと努力する推しのことを推したい。

いや、きっと推しは、これまで以上に努力するはずだ。 私が大好きだった推しはそういう人だ。

 

挨拶の最後に、推しは解散したユニットの話をした。

今まで、アニメシリーズに主題歌担当として関わりながらも、声優として表に出てきているときにはアーティストとしての発言はあえてしていなかった推しが、あえて口にしたのは、「久しぶりに凄く楽しく、「らしい」レコーディングができた」ということと、「こういう形で終われて良かった」ということ、そして、シリーズに関わらせてくれたことへの感謝。

推し自身が、納得しているのなら良かったという気持ちと、一人でスッキリした顔しないでよ、置いていかないでよという気持ちと、でも推しが楽しかったなら嬉しいという気持ちとがないまぜ。感情がぐちゃぐちゃで、頭は真っ白で、涙は出なかった。推しが一つ一つ紡いだ言葉を思い出そうとすると、今も胸が詰まる。苦しい。

 

そして推しはまた燃えている。炎上している様子を見て、叩いている方々の主張を読んで辛くなったけど、確かに、この舞台挨拶は推しのファンじゃない人たちにとっては地獄のような時間だっただろうなと思った。そりゃそうだよ。たった一人の勝手な行動によって、たくさんの人が迷惑して、悲しい思いをして、傷ついたんだから。どの面下げてのこのこ出てきてるんだよ、と思われても仕方ない。

(悪く思われても仕方ないというのと、誹謗中傷して良いかどうかはまた別の話。)

 

正直私も、推しのことを許せていない気持ちもまだあるし、色々思うところもあるし、無条件に黄色い歓声を上げられるような熱量が、今自分にあるかと言われると自信は無い。でも、舞台挨拶で推しの姿を見た時は、やっぱりテンションが上がったし、声を聴けたら嬉しくなった。ずっと好きだったものは、なかなか嫌いになれない。だから、しんどい。

 

 

最初の炎上から9か月が経ったけれど、私は未だに私自身の感情が理解しきれていないし、整理できていない。

整理するために文章にしようと、こうしてブログを書いてみるけど、やっぱりぐちゃぐちゃで本来は人様にお見せできるようなものではないと思う。

じゃあ何故公開するのかと言えば、炎上の裏でこういうファンもいるんだ、ということを知ってもらいたいと思うから。めちゃくちゃな文章だとは思うけど、そのくらい気持ちが滅茶苦茶なんだと、それだけ伝われば良いと思っている。

 

 

私は推しの「仕事」に惹かれて、推しを推すようになった。今回の劇場版アニメも、推しの仕事はやはり素晴らしかった。だからやっぱり、推しのことは「仕事」=「作品」を通して見ていようと思う。

そして、少しずつで良いから、また推し自身を手放しで推せるようになりたい。

そんな風に思ってしまう程度には、まだ推しのことが好きで好きで仕方ない。

プレフェスという最高過ぎるイベントの話

3月27日(日)豊洲PITにて、前代未聞と言っても過言ではないほどの超豪華メンバーが集結したフェスが開催された。

それが、「Precious Anime & Game Song Festival」通称プレフェスだ。

 

言わずと知れた超有名声優・緒方恵美さんが発起人でプロデューサーの本フェスは、クラウドファンディングにより実現した。

コロナにより困窮・疲弊している人に笑顔を届けたいという緒方さんの熱い心意気と、それに賛同したこれまた熱い方々によるもので、

登場したアーティストは緒方さんの他、angelaLia川村ゆみ中川翔子内田彩石川智晶高橋洋子堀江美都子(敬称略・出演順)……このメンバーが一堂に会することって他にある???

しかもこれが、後日(※)無料で全世界配信だなんて、信じられるだろうか???

※まさに今!4/2~4/4Youtubeで期間限定公開されているので要チェック!!

 

とまぁ出演者を見ただけでもとんでもないイベントだったことは分かると思うし、それぞれのパフォーマンスがいかに素晴らしかったかについて語りたいのは山々だし、何なら途中まで書いていたのだが、本日の「打ち上げ!-プレフェス感謝の集い-」を拝聴して気が変わった。

今回は、このプレフェスの開催そのものについて書きたいと思う。

 

というのもこのクラウドファンディング、初動があまり芳しくなかったのだ。私はこの事実に、「あの緒方恵美がやっているのに???」と思わずにはいられなかった。と、同時に、お金を集めるって大変なことなのだな…と、当たり前のことに気付かされた

最終的にこうして実現できたから良かったものの、正直途中で、もしかしたらこれは無理かもしれないな……と思ってしまった。パートナー(支援者)が感じるくらいだから、緒方さんはじめスタッフの方々はもっともっと不安だったに違いない。

 

受け取る側、消費者は、ついつい横柄になりがちで、アレが欲しいだの、こうして欲しいだの、言うのはタダみたいな感じで色々SNSに書き込んでる人を見るけれど、

確かに思うのは勝手なんだが、それを書いてる人たちに言いたい。あなた方が言ってることを実現するのがどれだけ大変か、考えたことがあるか??と。それを実現するために、推しがどれだけ疲弊するか分かってるのか??と。

 

日本って「無料」のサービスが多くて、それを当たり前に享受してしまって、っていうのもあるし、努力している姿を見せない文化というか、言わないのが美徳みたいなところがあって、どうも色んなことが簡単に実現していると錯覚しがちだけど、全然そんなことはなくて、我々のあずかり知らぬところで消費者のために裏でものすごーーーーく努力している人たちがいるはずなのだ。

そしてそんなものすごーーーーい努力を隠さずに話してくれたのが、本フェスだった。

 

緒方さんをはじめとした出演者の皆さまが、コロナによって変わってしまったエンタメ業界のこととか、アーティストが抱える不安とか、そういうのを包み隠さずにお話しくださったトークコーナー。

なんとなく、感覚として「大変そう」ということは頭で分かっていても、実際に話を聞いてみるとその感じ方は段違いだった。

私の大好きな推しは、私がのうのうと生きている間にこんなにも苦しんでいたのかと、、、何も出来ない歯がゆさと、悔しさと、情けなさとで胸が張り裂けそうだった。

 

どんなに大変でも、苦しくても、辛くても、「楽しい」とか「元気」、「パワー」を届けるために笑顔で表に立ち続けるための尋常じゃない努力、そして強い強い精神力。それらがあるからこそ、彼女たちの歌には説得力があって、エネルギッシュで、強く美しく輝く。そんな風に思う。

そんな、内面まで超絶カッコいい彼女たちのライブが前述のとおり、4/4まで期間限定で無料で見ることができる。

youtu.be

 

 

心身ともにボロボロになりながらもこの企画を実現させてくださった緒方さんには本当に頭が上がらない。

先陣を切って行動を起こす、その姿はめちゃくちゃカッコよくて、やっぱりアニキについていきたいと思わせてくれました。本当に本当に、ありがとうございました!お疲れさまでした!

 

私ができる事と言えば、このクラウドファンディングに自分が出来得る範囲で出資をして、細々とやっているブログで発信することくらいだけど、少しでもこのプレフェスの輪が広がれば良いなと願ってやまない。

 

当たり前に得られる幸せは当たり前ではないこと。

誰かの努力があって幸せが得られること。

そのありがたみを忘れずに………

 

 

そして最後に、心の叫びを一言。

私の推し凄いだろ!!!!!!!!!!(大声)

推しが燃えた私が『推し、燃ゆ』を語る。

2021年が終わろうとしている。

正直、上半期の記憶はあまりない。語るほどの出来事が無かったのもあるが、それよりも何よりも下半期が濃すぎた。というより、激動すぎた。なんたって推しが燃えたのだ。

あなたの2021年を漢字1字で表すと?と聞かれれば、私は迷わず「燃」と答える。そう、このブログでも2度ほど書かせてもらったが、私の推しは燃えた。

▼燃えた当時の記事はこちらから

燃えてしまった推しと此度の炎上について

推しが燃えた時ファンが抱く感情は複雑すぎて説明が難しいという話

 

推しの降板は相次いでいるし、先日には推しが組んでいたバンドの解散、会員サービスの終了が発表された。少しずつ、着実に、推しは影を潜めていっている。これから推しがどうなっていくのか、一ファンである自分がどう振る舞うのが適切なのか、私は未だに正解を見出せていない。

 

 

そんな今日この頃であるが、この1年の締めくくりとして、タイトルの通り『推し、燃ゆ』を語ってみようと思う。

有名作品なので無用な心配かもしれないが、多分にネタバレを含むのでこれから読むという方は注意されたし。

 

 

***

 

 

『推し、燃ゆ』とは、言わずと知れた第164回芥川賞受賞作品。宇佐見りんの二作目となる作品だ。普段小説を読まないという人も、このタイトルは印象に残っているのではないだろうか。何といってもこのキャッチーなタイトル。一度目にしたら忘れないだろう。特にオタクは。

私も一介のオタク故、目にした瞬間「読まねば」と思った。そして読んだ。

 

 

 

「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」

 

主人公・あかりは、アイドルグループ「まざま座」の上野真幸を推している。その推しが燃えるシーンから始まる今作。最初からもう生きた心地がしない。

私がこの作品を初めて読んだのは今年の5月。この時はまだ私は推しの炎上というものを経験していなかった。

故に、あぁ、燃えたら大変だなぁ、他人事じゃないなぁ、くらいに思っていた。ちなみにその時の私の読了ツイートがコレだ。

しかし、「他人事じゃないなぁ」くらいに思っている時点で、他人事と思っていたのだ、と今になって思う。

 

今更だが、ここで言う「燃える」とは、もちろん物理的な意味ではない。世間から非難される=炎上することを指す。

冒頭の一文に続けて、「まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわらず、それは一晩で急速に炎上した。」とある。昨今の炎上がよく表されている。まったく、その通りすぎて嫌になる。

前にも少し触れたが、SNSというのはしばしば言葉足らずになりがちだ。何の気なしに投稿した一言が、それが嘘か真かなんて関係なく一足跳びに、加速度的に拡がっていく。一度拡がり始めたらもうそれは止められない。話にはどんどん尾ひれがついていくし、叩く(その行動を非難する)人と擁護派、そして擁護派に対するアンチとでそこかしこで争いが勃発。まるで収拾がつかない。

人間、「正義」を盾にすれば何だって出来てしまうのだと、推しが燃えて改めて思い知った。

 

さて、推しが燃えた翌日。作中では、あかりはいつも通り学校へ行く。あかりの友人・成美は、「無事?」と声をかける。「大丈夫?」ではなく「無事?」というあたりに、何とも言えないリアルさがある。

ちなみに私は、推しが燃えた翌日何食わぬ顔で仕事をし、友人からは「生きてる?」とLINEが届いた。正直生きてはいなかった。上手く呼吸できていなかったんじゃないかと思う。

作中の成美が言った「推しは命にかかわるからね」という言葉の重さたるや。死んじゃう!なんて、冗談で言えているうちが花なのだ。

 

そして物語は、あかりが推しのことを回想しながら進んでいく。

あかりは、推しを「解釈する」ことで推しの見ている世界を見ようとする。そういうスタンスだ。回想の中で、今まで解釈してきた推しを再確認し、炎上の発端となった推しの行動に疑問を抱いたり、やっぱり推しはかけがえのない存在だと噛み締める。自分と重なって涙が出そうだ。

炎上してなお、思い出す推しはいつだって「推せる」存在であった推しなのだ。

 

 

しかし、推しが燃えてなお日常は続いていく。

 

あかりは、"普通"の女子高生より少し生きづらさを抱えて生きている。勧められて行った病院では「ふたつほど診断名もついた」そうだ。

それでも、推しを推している間は身体が軽い。呼吸ができる。文字通り、あかりは推しのおかげで「生きて」いるのだ。

反対に、推しがいなければ、あかりにはままならない日常しか残らない。

 

バイトも上手くいかない。高校も留年確定。

そんな中で推しの口から突然発されたのは、グループの解散。

記者会見では、推しが芸能界を引退することも伝えられた。

そしてその時、推しの左手薬指には、指輪…………

 

このあたりの流れが激流で、心臓がバクバクする。

コメント欄の投稿が改行無しで羅列されているあたり、コメント欄の「流れ」というか、スピードを感じられる。

あかりが流れるコメントを眺めながら、自分も何か言わなきゃと思うのに言葉が見つからないのは、「病気」を抱えているからとか関係なしに、あまりにも突然で、解釈が追い付いていないことに起因していると思う。

あかりの言う「解釈」とは、推しのことを丁寧に丁寧に掘り下げていくことだから、反射的に感想とか、意見とかは出来ないんじゃないかと。私も、発言の前に長考してしまうところがあるので、あかりほどじゃないが、スッと言葉が出てこない気持ちは分かる気がした。

 

物語も終盤、ついに推しのラストコンサートを迎える。精一杯声を振り絞って推しの名を叫び、推しカラーのペンライトを振る。最後だということを嫌と言うほど意識しながら、この瞬間が永遠に続いてほしいと願わずにはいられないあかり―――――

このコンサートの場面の描写は、それほど多くのページが割かれているわけではない。だが、その数ページは他の部分よりも勢いがあり、そこに描かれるあかりは、あまりにも切実で、力強くて、壊れそうで、熱くて、空っぽで、生きていて………この矛盾だらけな少女のことが、愛おしくて、愛おしくて、たまらなく抱きしめたくなるのだ。

 

そしてあかりは、推しのラストコンサートの感想をブログに綴る。

「最後なんだって思いました」を消して、「最後だと信じられなくて」と書いてまた消して…というシーンが何とも印象的だ。

最後を噛み締めつつ、でも最後と思いたくなくて、でも推しの最後の姿は出来るだけ記録しておきたい、でも書いてしまえば本当に最後になってしまう、終わらせたくない、という葛藤………はぁ、なんて切ないのか。

 

 

全体を通して、「推し」もそうだし、「チェキ」とか「ガチ勢」とか、オタクになじみ深い単語が随所に出てくるので、根っからの文芸沼(「沼」もオタク用語か…)の人よりもむしろ、なにかしらのオタクの方が親近感があって読みやすいかもしれない。

 

最後までどことなく仄暗くて、救いようのない話だが、その絶望感が何とも魅力的な作品だった。推し如きで絶望?と疑問を抱く人も中にはいるかもしれないが、この作品を読んだ後には、そんなことは言えなくなっているはずだ。なんたって「推しは命にかかわる」のだから。

 

 

炎上から解散まで、私も一通り『推し、燃ゆ』を実際に経験してしまった。

「他人事」の頃に既に読んでいたが、「自分事」として再読すると切実さの度合いが段違いだ。ある意味、二度美味しい作品となった。これから読む、という人には是非「他人事」のうちに読んでいただきたい。そして、「自分事」となる日が来ないことを祈っている。

 

 

 

世の中に、「絶対」とか「永遠」なんてものはない。

だから、「推し」は推せるときに精一杯推しておくこと。

何度となく呟かれていることであるが、今回の一連の騒動でより一層、私の心には深く深く刻まれた。

 

色々なことがあって、報道がある度に息が詰まって、手が震えて、生きた心地がしなかったが、こんな気持ちになるのはやっぱり推ししかいないし、私にとっては唯一無二の存在だ。もう二度と、ここまで心揺さぶられることは無いだろうと思う。

今後、推しとどう向き合っていくかは正直分からない。だが、推しを推していたあの幸せだった時間までは否定したくない。だってその瞬間、私は「生きて」いたから。私を生かしてくれたのは推しだから。

 

 

まだしばらくはぐちゃぐちゃな感情と付き合っていくのだろう。

そう思いつつ、私はまた「生きる」ための「推し」を探すのだ。