ネガティブ女でも人生楽しく生きている。

生き方なんて人それぞれだから。

推しが燃えた時ファンが抱く感情は複雑すぎて説明が難しいという話

前回推しに対して個人的に思うことを随分赤裸々に書いてしまったので、次は全然違うことを書こうと思って書きかけてたんだけど、それどころじゃなくなった。

 

嘘か真か、推しが自殺未遂を犯したらしい。

裏はとれていないみたいだから、信ぴょう性に乏しいけど、SNSを開けば激しい言葉が飛び交っていて、とても見ていられない。今回も随分燃えている。

 

いま抱いている自分の気持ちを整理しようと、こうしてブログの編集画面と向き合っているのだけど、何を書いても嘘っぽくなってしまって、なかなか筆が乗らない。さっきから何度もキーボードを叩いてはbackspace連打を繰り返している。

前記事を書いた時も結構取り乱してはいたのだが、今回はその比ではない。 

こういうとき、何を思い、考え、発信するのがファンとして正解なんだろうか。

 

不倫についての報道があったとき、最悪だ、と思った。

未発表楽曲をリークしたらしいことが分かったとき、何てことしてくれたんだ、と思った。

今回の自殺未遂についての記事を読んで、死なないで、と思った。 


一連の報道について、私が思ったことを一言ずつ書き出せばこうなる。SNSではこれを「手のひら返し」と言われたりするらしい。


前記事も読んでくださった方ならお分かりいただけると思うのだが、私は手のひらを返した訳ではなく、ずっと、色んな気持ちが心に同居している状態だ。

おそらくその「手のひら返し」な投稿者の中にも、私と同じような人がいるんじゃないかと思う。

Twitterは特に、140文字という制限の中で投稿するので、しばしば言葉足らずになるし、強い思いを伝えようとすれば選ぶ単語が極端で攻撃的にもなりやすい。お手軽だけど、危険なツールだと思う。

色々考えたことの中で、一番言いたいことだけを切り取って投稿したら、そりゃあ「手のひら返し」と受け取られても仕方ないなぁと思う。私はそれが嫌でTwitterではあまり言及しなかったのだが。

 

私が不倫について「最悪」と思ったのは、推しとか関係なく、単純に私が「不倫」に対して強い嫌悪感を抱いているから。(不倫に好意的な人は多くないと思うのだが。)

ただ、最悪だと思うけど、自分のような一介のファンは家庭内の問題にあれこれ言う立場ではないと思うし、推しが結構ヤンチャしている(ヤンチャというのはかなり優しく言いました。)ことは何となく知っていたから、自分としては、思っていたよりもあっさりと流せた。これについてはあまり触れないでおこうかな、周りもとやかく言わないでほしいな、というスタンスだった。家庭内でよく話し合ってね、とは思ったけど。

 

楽曲のリークについては、本当に、これはダメだ、と思った。前記事でも書いたが、私は推しの仕事に対する誠実さを信頼していたので、これに関しては本当に、ただただ悲しかったし、怒りの感情も湧いた。推しのプライベートには立ち入れないけど、推しが携わった作品はこの目で見ているから。自分の見てきた「信頼」が崩れていくのは流石にショックが大きかったけど、信頼していたからこそ、推しの口からは何か説明があるはずだと信じた。でも、先日、9月に予定していたシングルの発売が中止となった知らせが出て、報道の信ぴょう性を感じ愕然とした。この件に関しては、擁護のしようがないと思っている。信じたいのに信じられないのはとても苦しい。

 

一方で、一連の出来事についてとある記事に「《本人の口から説明してもらえるまで信じない》と一縷の望みをかける熱烈なファンまで出てきた。」という風に書かれていたことに、少し引っかかっている。

どういう意図でその一文が書かれたのか分からないが、この記事を書いた人から見れば、私は「熱烈なファン」なのだろう。そんな「熱烈なファン」の私はこの記事を読んで馬鹿にされた気分になった。こんなにも証拠が出揃っていてまだ報道を信じないのか?こんなヤツに何を期待してるんだ?と嘲笑われているようで。被害妄想的かもしれないが、悲しい時にそういう言葉を見たらネガティブにもなる。

私は、ファンだから推しのことを信じているのではなくて、信じるに値する推しの姿を見てきたから信じているのだ。ファンだからって手放しに信じているわけじゃないし、ファンなら推しのことを信じて支えるべきだみたいな思想で信じているわけでもない。ということを強く主張しておきたい。

というか、信じられないと思ったら即ファンをやめているだろう。

 

また声が聴きたいのも本当だし、しばらく声を聴きたくないと思ったのも本当。人間そんなに単純にできてないでしょ。全部の感情が2択で済んだらそんな簡単なことない。

なんの気なしに発言している人も中にはいるだろうが、私のように全部本心で、本心だからこそ葛藤しているファンがいるということが少しでも伝わったら良いなと思う。

 

 

推しの自殺未遂を知らせたとある記事には、推しがどれだけ悪かったかということがこれ見よがしに書き連ねられていた。死ねば良かったのに、とでも言うように。諸々の問題は事実なんだろうけど、何も2つを同じ記事に書くことないのに、というのが率直な感想だ。死んでいい人間なんているはずないのに。

 

生きていればこそなんだよ、本当に。死をもって償うなんて絶対に出来ない。生きてさえいれば、どうとでもなるから。誰も幸せにならない死よりも、誰か1人だけでも幸せにできる生を選んでほしい。これは推しに限らず、悲しいニュースを見る度に思っているのだが。

 

 

昨日、劇場版アニメにおける推しの続投が発表された。この知らせが推しの、そして推しのファン達の生きる希望になることを願っている。