ネガティブ女でも人生楽しく生きている。

生き方なんて人それぞれだから。

自分の思想を他人に押しつけちゃいけないと思うんだけどその辺どう思う?

仕事柄、色々な業界の人と出会ってお話しする機会があるのだが、この間出会った人がなかなかに強烈だったので、その話をしたいと思う。

流石に詳細は書けないので、ぼやっとした内容になってしまうだろうが、ご容赦いただきたい。

 

その強烈だった人というのが、確固たる自分の信念を持った人だった。信念を持つこと自体は別に構わない。むしろ素晴らしいと思う。ふらふら風見鶏してる奴よりよっぽど良い。

しかし、だ。話を聞いていると、「私の考えが正しい。それ以外は間違っている。」という語り口になってきた。確かにこの人の主張そのものは筋が通っているのだが、正直私には賛同しかねる部分もあって、話を聞いているだけで気が滅入りそうだった。

 

何より、仕事だからという理由で、納得できない話に対して「そうですね」としか返せなかったことに凄まじく自己嫌悪。全然そう思ってないのに、猫被ってご機嫌取りの相槌を打って。話を聞き終わった後の帰り道は、悔しさというか、情けなさというか、何とも言えない気持ちで涙が出そうだった。この負の感情をどこかに吐き出したくて、こうして記事を書いている。

 

その人の話を例えて言うなら、「赤ちゃんを育てるには絶対に母乳でなければいけない!みんなそうするべき!」って主張されるあの感じ。母乳で育てたいという気持ちはあっても様々な事情でそれが難しい人というのも世の中にはいるわけで。そういうのを無視して自分の主張を通そうとするような……というのは、私が話を聞くうちにどんどんこの方に対して心を閉ざしてしまったから、良くない受け取り方をしてしまっただけかもしれないが……

私自身が批判されているわけではないのに、なんだか怒られているような気分になったし、すごく疲れてしまった。私はまったく自分に自信が無いので、「自分の考えが正しい」と胸を張って言える人ってある意味うらやましい。

 

全方位に配慮した発言をしろというわけではない。ただ、自分と違う考え方の人もいることを許容してくれたら良いのに、と思うのだ。理解はできなくても、みんな違ってみんな良い、それで良いじゃない。…っていう私の発言ももしかして押しつけになっているのか…?うーん……。

 

無意識かもしれないけど、「正しい意見」を言う人って、発言が攻撃的だと感じる。とくにSNSは。

この人は間違っていて、自分はそれを正してあげている、という意識があるのだろうし、そういう時って快楽物質的なものが出るらしいし、なんかもう止まらないんだろうな。これは憶測じゃなくて、自分の経験からもそう思う。

 

学級委員をしていた中学時代、何かを注意する時って攻撃的な言葉をかけていたと思う(中学時代は黒歴史すぎてあまり思い出したくないのだが)。きっとクラスメイトには嫌な思いをさせたし、だから嫌われたんだろうと今では思うけど、当時はそんなこと考えもしなかった。だって自分が正しいから(当時は自分の正しさに自信を持っていた)。正しいことを言って何が悪いんだって思っていた。

でもある時、友人から「言い方がキツい。傷つく」と言われて、初めて自分の言葉が強いことを自覚した。反省して言葉を選ぶようにしたら、今度は遠慮しすぎでハッキリしろと怒られたり、紆余曲折あって今はだいぶマシ…だと信じたい。加減って難しい……(私がヘタすぎるとも言う)。

 

何にせよ、若い時に自分が選んでいる言葉や考え方は人を傷つけるかもしれない、っていうことに気がつけて良かったなと思う。ちゃんと言ってくれた友人に感謝だ。

今でも油断するとすぐ口は悪くなるし、「は?なんで?」って思っちゃうこともたくさんあるけど、反射的に言葉にしないで一旦飲み込むことができるようになったのは大きい。だからこそ、賛同できない意見と対峙した時すぐに言葉が見つからなくてぐるぐるしてしまうという別の悩みもできたが…。

 

少し話が脱線してしまったが、とにかく私が言いたいことは、他人の考え方を理解することはできなくても、自分と違う意見があることを知る努力はすべきだし、考え方が違うことを攻撃して良い理由にしてはいけないということだ。その考え方が「正しいこと」だとしても。攻撃しているつもりじゃなくても、言い方次第で傷つけることは往々にしてあるから、口に出す言葉はよく考えないといけない。

当たり前だろと言われるかもしれないが、私はその当たり前ができていなかったことがあるから、こうして書いてみた次第。

 

 

読んでいただきありがとうございました。

おそらくここまで読んでくださった方は、きっと言葉を選んで発言できている人だと思う。ぜひこれからも続けてほしい。私も頑張る。