ネガティブ女でも人生楽しく生きている。

生き方なんて人それぞれだから。

せめて思い出は綺麗であれ

もう推しの話は書かないって思ってたんだけど、何度もそう思うんだけど、どこかに吐き出さないと窒息しそうで、性懲りも無くまたこうして記事を書いている。

 

 

推しがボーカルを務めるバンドが5/31付で解散した。

以前から解散は発表されていたが、改めて宣言されて、改めてメッセージが公開されて、また心がかき乱されている。

 

以前にも書いたが、私は、声優である推しの前に、ボーカリストとしての推しを好きになった。まっすぐに胸に響く歌声が、本当に好きだった。

初めて生でその歌声を聴いたときには、その歌唱力に脱帽したし、胸にドンと突きつけられるように歌が届いて涙が出た。

 

歌を沢山聴いて、推しの出演作を見るようになり、ライブに行くようになり、

新曲が出る時に発表されるコメントとか、出演作品のWebラジオとか、ライブMCとかで段々人となりが分かってきて、ますます好きになって。

それまで芸能人の趣味嗜好・プライベートには興味が無かったのだが、推しに関してはどんなことでも知りたかった。

 

推しのことを知っていくうちに、こういう時きっと推しならこうする、とか、推しはこんな行動は許さないだろうな、とか、そういうことを考えるようになった。

推しを推す者として恥ずかしくない人間でありたいと思ったからだ。

 

私の行動規範は紛れもなく推しだった。

 

***

 

ライブのことを思い出せば、楽しかった記憶しかない。

見よう見まねでジャンプして、拳を突き上げて、頭を振って、声を枯らして。

ボーカルの推しはもちろんのこと、ペインターの方のパフォーマンスもそれはそれは凄かった。生きるって、こういうことなのかなって感じられるような、エネルギーというか、魂を見せられているようだった。これがアートの力か、と。

音楽もアートも大好きな私にとって、このバンドは好きの集合体だった。大好きなロックが、大好きな声で歌われ、そんな音楽に包まれながら大好きな絵が出来上がる。こんなに満たされることは他に無い。

彼らのライブは、遊び方が分からないまま大人になってしまった私が、青春を取り戻せる場所だった。

 

ライブが終わって、心地よい疲労感の後には筋肉痛がやってきて、痛みとともにセトリを振り返って、iPodにセトリ通りのプレイリストを作って、通勤中に聴いてはライブに思いを馳せて。

また行きたいな、また会いたいな、と思うことが、働く原動力だった。

 

コロナもあって、結局ライブには数えるほどしか行くことが出来なかったけれど、行くことが出来たその数回には、それぞれに思い入れがある、

 

初めて一人でライブハウスに行った1回目

推し繋がりで仲良くなった後輩と朝から物販に並んだ2回目

会員限定ライブに行きたくて大急ぎでメンバーズ会員登録して参戦した3回目

初めて遠征した4回目

地元開催が嬉しかった5回目

どうしても布教したくて友人を引っ張っていった6回目

どれも大事な思い出だ。

 

私にとって7回目のライブはコロナ禍でのオンライン配信。これが最後になってしまった。

最後にもう一度、生でパフォーマンスが見たかった。それだけが心残りだ。

 

解散に際して、推しの発表したコメントには、感謝の言葉しか無かった。

正直、何故「解散」という結論に至ったのか、推しなりの考えというか、推しが思っていることをもう少し話して欲しかった感はある。推しは、こういう時の説明が本当に上手くない。

ただ、どんなに説明されても、こちらが慮ることの出来ない領域もあるだろうし、十分に話し合って決めた結論なのだろうから、彼らが最良だと思う道が「解散」なのであれば、一ファンである自分には、彼らの意思を尊重し、受け入れることしかできない。いや、そう思おうとしている、といった方が正しいかもしれない。

私はこうして文章にすることで、自分で自分を納得させようとしている。

 

 

まだもやもやする気持ちもあるけど、ひとまずはねぎらいと、感謝を。

 

今までお疲れ様でした。

色んな初めてを経験させてくれて

一歩踏み出す勇気をくれて

たくさんの感動をくれて

本当に、本当に、ありがとう。

 

またいつか、を夢見て。

 

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時間が解決してくれると言えるほど世の中は甘くなくて、火種は未だにあちこちに転がっていて、動く度にパチパチ燃える。

 

私は、誰が何を言おうと関係ない!私は彼が好き!と大声で言えるほど強くなくて、推しに対する厳しい意見を見聞きしては胸が締め付けられ、こんなところで発言できない、と萎縮してしまう。

どうしても吐き出したくて書くこのブログにも、推しの名前は書くことができない。

 

 

いっそ嫌いになれた方がどれだけラクか、と何度も思った。でも無理だった。

楽しかったあの瞬間に嘘は無かったから。

 

こんな気持ちを抱え続けるのは正直辛いし、もう疲れた。

 

 

それでも私は、推しを推すことを止められない。